003213

Yesterday: 1 Today: 1



落語の報告は「志ょ朝のブロク」で報告していますが、その他
志ょ朝が落語・その他色々思ったこと、心に残ったことを綴っていきます。
ひとりよがりの言いたい放題のことを申し上げますが
志ょ朝の独り言にお付き合いください。

ご意見、ご感想がございましたら、こちらからどうぞ → syotyou@handa-taisyuengeiclub.com

No.17 平成21年3月21日  春日井市 ソフィアン寄席

「一席入魂」

しばらく筆が止まっていた。体調を崩し、色々なことが重なってなかなか書けなかった。
少し余裕が出来てきたのか、また特筆することが出来たのか、再び書く気になった。

年四回行われているソフィアン寄席。最近は何度も出させてもらっている。そのソフィアン
では出るたびに考えさせられる。その内容はその都度違うのだが、この独白でもNo8にも
書いたことがある。そして今回再び感じることがあった。

3月21日に行った会では、夢輔さんが初出場で残りは笑天さん、無眠さん、そして私であった。
考えてみると古狸の会+1。古狸の会とは「楽語の会東海支部」を立ち上げた3人、つまり
無眠、笑天、夢輔の三人衆である。「楽語の会」ファンには、たまらない三人衆。そこに+1の
私が入れてもらっての会である。
ネタはどうしましょ。無眠さんからの連絡。笑天さんが開一で「初天神」、夢さんがトリの
「幾代餅」、食い付きが無さんの「冷蔵庫哀詩」で、私は仲トリをいただいた。んー。では
「岸柳島」でお願いします。軽く返事をした。

現地について、軽く打ち合わせ。すると、「仲トリが岸柳島で大丈夫?」という意見が出た。
確かに少し短いし、笑いも少ない。ん?岸柳島ではまずいかな?「でも、マクラで盛り上げて
お客様が満足してもらえればいいですよ」とも言われた。ん?じゃあどうしよう。ネタ帳を
開ろげて持ちネタを見てみたが、・・・・。意外とボリュームのある仲トリネタがあまりない・・・。
じゃあマクラで・・・これもピンとこない。色々考えているうちに開演時間となった。

開口一番で笑天さんの「初天神」。いつもながら、きちっとしている落語。寸分の隙間もない。
そして、落ちがいつもの落ちと違っていた。後で聞いてみると喬太郎師匠が使っている落ちを
使ってみたらしい。
そして、私。迷いのまま高座。一か八かで、今までに使ったことのないマクラをふった。
何となく消化不良になってしまった。そしてネタへ。稽古不足が途端に出た。そして目の先に
見えるスタッフの顔が気になる。平常心がまったくなくなった。何とか最後までたどり着いたが
ガタガタな結果となった。
仲入り後の無眠さん。「冷蔵庫哀詩」で、ハメモンに「映画タイタニックのテーマ」を用意して
いた。
そして、トリの夢さんで「幾代餅」。主人公「清蔵」の気持ちを少し強めに演じたと言う。
最高の高座だった。

格が違う。痛感した。

また、とっさに言われてもいいような場合のネタの不足、賞味期限の短いマクラの勉強不足が
露呈した。
そして何より、一席に掛ける思いのなさ。みんなはそれぞれ工夫をして、一席に思いを込めて
きているのに、自分は付け焼刃もいいところ。以前にもこのようなことを書いた覚えがあるが
直っていない。四六時中落語を考えていないと、中々出来るものじゃないと思えるのだが、
私には、まだまだそこまでの思い入れが足りないのかもしれない。
本当にみんなは落語が好きなんだなあ。

私は、人前で演じるのが好きで、落語本来を好きではないのかもしれない。


No.16 平成20年10月21日  NHK番組「プロフェッショナル」100回記念 その1

「笑顔」

NHKの番組「プロフェッショナル」が100回記念となった。その100回記念番組で今まで
のプロが行ってきた極意を分析していた。その中で、プレッシャーをプロはどうやって克服
するか。その方法の一つとして、「苦しくとも笑い飛ばす」という方法をしているプロがいた。
それを茂木氏が分析した。当然、笑えば脳の中がポジティブになり、脳が集中できる。
このプレッシャーの克服方法は我々でも想像つくことだが、ここで紹介されたドイツの
科学者が行った実験に興味を引いた。

その実験とは、ある漫画を読ませる時、実験1では口にペンを唇でくわえ、笑えない状態で
読ませ、実験2では、ペンを歯で噛んで強制的に笑顔で読ませた。そして、漫画が面白いか
どうかを尋ねたところ、ペンを歯でかんだ方がはるかに面白かったと答えた。

茂木氏によると、脳が面白いと感じると顔の神経に指令を出して笑顔になるが、
逆に顔の筋肉を笑顔状態にしておくと、ちょっとしたことでも面白く感じるらしい。

ふと、落語について、このことを考えてみた。むつっとした顔でネタに入っても当然面白み
も半減する。ネタに入る前に、お客様の顔を笑顔にしておかなければならない。つまり、
マクラが非常に大切であると言うことだと。

なんだ、そんなこと当たり前じゃん。と言われる方もいるかもしれないが、改めて実験を
通して、マクラの意味を思い返した。

最近無眠さんがしきりに言う。「マクラは大事だよ」


No.15 平成20年9月28日  学校学園祭 

「古典落語」

秋のシーズンになると毎年学園祭からの出演依頼がある。今年も名古屋の学校から
依頼があった。学園祭には何度か出演しているが、正直なところ中々厳しい。
何が厳しいかと言うと、依頼主が落語をあまり理解していないケースが多い。
我が母校中部大からも依頼があって、屋外ステージでやってくれと言う。
当日、雲行きが怪しく、出番30分前になったらついに降って来た。ステージには
あわててテントを立てて、時間になったらさあやってくれ。さすがに断った。

今回は知人の紹介で、なおかつ一度私の落語を見ているので、まずは大丈夫だろう。
会場は校舎の3階の和室。部屋としてはまずまずだが、校内放送で「グレイ」が激しく
流れている。ううう、またか。依頼主にお願いして音量を下げてもらうように頼んでみた。
すると3階のみ切ってくれた。座布団を配置して高座を作ってさあ始めようか。

学生さんが呼び込みをしてくれて、何とか30人ほどになった。予定は1時間30分。
マクラを2,3ふってみた。クスッともこない。う〜ん、なるほど、若い子にはむりか。
今時のメディアでは「グー、グー」のようにギャクの連発でないと受け入れてくれない。
もういい、とにかく強引にネタに入ろう。「親の顔」なら現代の内容だから少しはいいだろう。
しかし、思うように笑ってくれない。お客様の中に中年の人も入っていてクスクス笑って
くれている。ついに噺の終盤に。チョロっと笑ってもらった。
二本目は古典にしようと思っていたが、これじゃあと思って「ぜんざい公社」にした。
私は、ぜんざい公社に依頼主の名前を入れたり現代の話題を入れ込んで、老人会などに
喜んでもらっている。今回も学校の学長さんの名前を入れたりして頑張ってみたが・・・・
そこそこだった。

ここで仲入り

後半は、前半が新作落語ばかりだったし、この際受けなくてもいいから、落語らしいものを
やろうと、古典をすることにした。稽古したいこともあって「猫の皿」にした。全体的には
笑いの少ない噺だが、落ちのところで笑いと「ああー」という感じのため息が出た。
あれ?来たか。んでは、とっておきの「禁酒番屋」でいくか。できるだけオーバーアクション
でやってみた。すると、終盤で若い子もゲラゲラ笑い出した。やっとホッとした。

この要因は色々あるだろう。最初のマクラが受けなかったので、ネタに逃げた。
受けよう受けようと力が入っていた。若い子なりの切り口の研究不足。・・・・
だが、私自身が身に浸みて感じたこと。

恐るべし、古典落語


No.14 平成20年9月16日  お弟子さんたち 

「成長」

楽語の会の仲間でお好味家喜楽さんが10年ほど前に落語教室を開いた。その教室の終了
後、その生徒さん達が残って喜楽さんのお弟子さんになった。そのお弟子さん達同士が仲が
良く、旅行にでも行くという。いいなあ、半田にもそんな人達が集まってくれるといいなあ。
うらやましかった。

半田でも教室を開こう。残ってくれなくても落語に親しむ人が一人でも増えるだけでもいい。
そんな思いで半田の仲間に相談した。「やってみましょうよ」。快く引き受けてくれた。

そんな時、半田クラシティの駅前演芸会を見て楽屋に飛び込んできた人がいた。
「弟子にしてください」
「あ、はい。一緒に勉強しましょう」
驚いたのと、嬉しかったのが一緒くたになった。勢蔵さんである。

2006年10月教室を開く。新聞に掲載されたこともあって10名以上の申し込みがあった。
3ヶ月の稽古の後、発表会をした。そしてその後5名の人が残ってくれた。
丁賭さん、伍雲さん、楽馬さん、志文さん、すずめさんだ。

2007年10月も教室を開いた。7名の申し込みがあって4名が残ってくれた。
羽衣帝さん、のれんさん、ばななさん、金平糖さん。
(羽衣帝さんは、教室を始める前から通ってくれてましたが)

残った人たちは、今はそれぞれ課題となる噺を覚えて月一回ある稽古日に来ては稽古をして
いる。時には私より年上の人達もいるが厳しいことも言って来た。でも頑張って続けてくれて
いる。嬉しい。

そして先日、私が社会人落語選手権大阪本選に出場すると言ったら、みんなで大阪まで応援
に来てくれた。本当に嬉しかった。

そして何より嬉しいのは、最近みんなが高座に上がって活躍していることだ。
今、たくさん来ている出演依頼に、それぞれ出向いてもらおうとも思っている。
いっぱい色々な会場に出演して体験してもらいたい。そしていっぱい受けてほしい。
笑ってもらえる嬉しさをしみじみ体感してほしい。

今、私はこの人たちのことを、宝のように感じている。



No.13 平成20年8月13日  今年もまもなく100席

「その先にあるもの」

7月の集計時点で今年はすでに70会場、95席となった。8月中には100席を超えると思う。

昨年から(砂九さんが亡くなってから)、来た話は断らないでやろうと思った。
さほど理由はなかったが、砂九さんの穴を、及ばずながら少しでも埋められればと思った。
ところが、埋めるどころか自分に来る依頼も急増した。
そして19年中は105会場、142席となった。

今年も引き続き、あちらこちらから依頼がある。大変ありがたいかぎりだ。

生前砂九さんが、すごい勢いで落語をしていた。勉強会と称して一般の家でもやっていた。
そんな時、「100席あたりでは大変だけど、150席を超えると意外と楽になるよ」と明言か、
あるいは迷言なのか分からないが、残していった。それを聞いた時、そこはいったいどんな
世界だろうと思った。その世界を見てみたいとは思ったが、自分もそこまで行ってみたいとは
思わなかった。

だが、今、自分がその100席の狭間にいる。

昨年は勢いで1年が過ぎていったが、今年は少し違う。
最近思うのだが、私自身の落語が壊れてきた。
壊れるほどのものがあるのかと言われればそれまでだが、
自分の中でということでご勘弁願いたい。

まず、マクラがおかしい。間が取れない。組み立てがおかしい。高座に上がってから迷う。
仲間がマクラでガンガン受けているのに、それを聞いて笑っているだけで記憶に残らないし
記録すら取らない。

ネタにしても、一つもものになっていない。ネタが出てこない。カチッとまとめられない。
そんなことだから、感情移入できるはずがない。

原因は色々あるだろう。稽古不足は重々分かっている。やりすぎだとも言われた。
忙しいので一つ一つに気持ちが注げないのかもしれない。
あるいは、自分の落語は、今まで付け焼刃で来た感があるので、その限界がきたのか。
どちらにしても、お客様に対して大変失礼な了見である。はなはだ申し訳ない。

社会人落語選手権の影響もあるのだろうか。
大阪へ行った後、ぱんとまいむに出て「星野屋」をさせてもらった。
ひどい出来だった。高座から下りた後、涙が出るほど恥ずかしく悔しかった。

しかし、この思いが身にしみていない。また同じことを繰り返している。

どちらにしても、ここは何とかしなければ落語が出来なくなってしまう。
心を整理して対処しよう。落語もいっぱい聞くことにしよう。もっと落語を好きになろう。

とりあえず、今年いっぱいスケジュールどおり行ってみたい。
そして、この先にある世界がもし覗けたならば、報告したい。


No.12 平成20年7月30日  大府駅前寄席 

「結末」

訳あって、大府駅前寄席から手を引くことになった。その理由は色々あるが、
私が一年余、やってきたことを見直さなければらならないこととなった。
今後、継続されるかどうかも分からない。
しかし、期待してくださっていたお客様には申し訳ないと思っている。
また、大府駅前寄席で随分勉強させてもらった。そのことには感謝したい。

ただ、悔いはない。一生懸命やってきたのだから。


No.11 平成20年6月14日  全日本社会人落語選手権 第十四回大阪本選 その1 

全日本社会人落語選手権 第十四回大阪本選 無眠さんが2連勝している社会人落語の
コンテスト。今回私も出場することにした。このことについて出場までに書きたかったのだが
間に合わなかった。誠に申し訳ないのだが、書き込みを前日と言うことで書かせていただく。
ご容赦願いたい。

このコンテストは第14回と言うことなので、前々からあることは知っていた。無眠さんから
「出ませんか?」とお誘いをしてくれたときもあった。「とんでもない。私なんか」と返したら
「何で?」と言われ返事に困ったことがあった。その時の無眠さんの考え方が理解できな
かった。
しばらくの間無眠さんと栄歌さんが出場して、「栄歌さんが三連覇」したなぞという話を聞き
まったく私の知らない世界、遠い世界だった。その時にも無眠さんは楽語の会のメンバーに
しきりに誘っていた。
すると、2年前無眠さんが優勝した。おお!すげえ。さすが無眠さん。みんなが祝福したが
まだ他人事だった。砂九さんが「無さんが二連覇したら、わしが出て行って鼻をへし折ったる」
と言っていた。今思うと、それから砂九さんの目の色が変わったような気がする。しかし、その
5ヵ月後他界した。
そして、その思いを掛けて、無眠さんは去年2連覇をした。もう、名古屋のみんなは演者も
お客様も飛び上がるように喜んだ。その時から私の中で、何かが変わったような気がする。
全日本社会人落語選手権は、我々にとって聖地のようになっていった。

今回私が出演する気持ちになった理由はいくつかあるが、心の中をすべて書き出せないかも
しれないが書き留めておきたいと思う。

◆まず第1に出てみたい。出させてもらえるのなら一度でいいから出てみたい。予選がある
 のならそこからでもいい。(実際、中ノ島まつりで予選もある) 聖地に出たいという気持ちが
 とにかく一番だった。
◆自分自身が出られるのも、今かもしれないと思った。去年から席数も増え自分にとって
 落語に対する気持ちは今がピークだろう。来年になると、こんなに落語三昧の日々は
 暮らせないかもしれない。今年がチャンスと思った。
◆ここで無眠さんが三連覇をすると、もっと聖地になってしまう、我々にとって、とても手の
 届かない所になるような気がした。そのためにも今年出ておきたい。
◆出ることによって、自分にも楽語の会のメンバーにも、何かの刺激になればいいかなと
 思った。無眠さんがしきりに誘ってくれていたのも、ここだったのかもしれない。確かに
 出ると決めてから大いに刺激になった。落語に正面から向き合うことができた。そして
 色々な出演者と出会って、たくさん教えてもらうことがあった。このことは後日書くことに
 する。

もう少し気持ちを整理していくと、今気が付かない理由が見つかるかもしれない。
とにかく聖地のようになった大阪本選に私なんぞが出場するなんて、お前も身の程知らず!
と叱られるのを承知の上で出場した。今書き上げた理由なんぞ、真剣に優勝したいと思って
いる出演者からすると、とんでもない奴だ、お前は!勝つ気がないのに出場したのかと
怒られるかもしれない。お叱りは、あまんじて受けたいと思う。ただ、会場の皆さんには
大いに笑ってもらいたいという気持ちを胸いっぱいにして高座に上がったつもりだった。


こんなことを書くと白けるかもしれないが、事実なので書く。
14日の朝の夢に砂九さんが出てきた。何も言わなかったが、
きっと高座に上がりたかったのだろうなあ。


No.10 平成20年5月24日  解体新ショー その1 

「体内時計」

NHKで解体新ショーと言う番組がある。先日その番組で「体内時計」を取り上げていた。
誰でも体内時計がある。結構正確らしいのだが、これが環境や精神状態で微妙にずれる。
よく「楽しい時間は早く過ぎるのに、つまらない時間は長く感じる」という、あれである。
楽しい時は体内時計が早くなって、つまらない時には遅くなるのかと思いきや、実は
その反対らしい。つまり、楽しいと体内時計はゆっくりとなり60秒たっているのに50秒ほど
しかカウントしていない。2時間たっていても2時間たっているように感じていない。だから
楽しいときは、「終了」と言うと「えー。もう終わりなのー」という感覚になる。すぐ時間が
過ぎたように感じるのである。

逆に、つまらない時はなんと体内時計は早く進む。10分間分立ったつもりなのに実際は
10分たっていない。2時間経過しても2時間以上我慢しているように感じるのである。

津島まち遊び・6時間耐久マラソン落語会では、演じている我々でも6時間があっという間に
感じた。お越しになったお客様は、6時間をどれほどに感じていたのだろうか。


No.09 平成20年5月14日  東区生涯学習センター 

「時事ネタ」

最近は色々なところから依頼が来る。リーダーに聞くと日程が合わないとお断わりをする
程なそうな。ありがたい限りである。そんな中、東区生涯学習センターから依頼があった。
平日の昼の依頼で、このような依頼にはメンバーの中で出られるのは限られてくる。私と
夢輔さんぐらいである。この日も夢輔さんと出演したが、私は夢さんと出るのは、とても
楽しみにしている。教えられることが多いからだ。落語について聞くと、その人のレベルに
合わせて的確なアドバイスをしてくれる。

昔、楽語の会に私が入会したときには、「まずは、高座に上がったら30秒以内に笑いを一つ
必ず取りなさい。どんな小噺でもいいから。」というアドバイスをもらった。この一言で私は
随分と助かった。確かに高座に上がって、だらだら話しているとお客様は離れていくし、それ
を引き戻すにはかなりの力量がいる。すぐに笑ってもらえればお客様は親しみをもってくだ
さるし、自分もほっとする。今、半田の生徒さんに同じことを伝えている。

ほどなく、私にも一人前にスランプと言う季節が来た。落語ができなくなった時期があった。
夢さんも心配してくれていたらしい。このことについては、後日書くことにしよう。

そのスランプを通り越し、また再び落語を始めた時に夢さんと営業に行った。砂九さんが残し
ていった会である。夢さんと打ち合わせをしていると、「不●家をどこかに入れたい」と言い出
した。当時不●家の衛生問題がマスコミに取り上げられていた時期である。まくらでもネタで
もいい、どこかに入れたい。2人で考えた末に、私の「親の顔」に入れようということになった。

 金太の父親

  問題
  3人兄弟のお母さんが12個のケーキを買ってきました。1人当たりいくつ食べられるで
  しょう。と言う問題で、お前(金太)が書いた答えが「そんなに一度に食べられません。」
  馬鹿だなお前、これはな、「このケーキは食べられません。」が本当の答えだ。ん?
  なぜって?そりゃお前、このケーキの製造者をよく見てみろ。不●家って書いてあるじゃ
  ねーか。

これが、当時受けた。夢さんと楽屋で成功!とガッツポーズをした。夢さん曰く。「時事ネタを
入れると、すごく受けがいいんだよ。お客様が演者のことを身近に感じてくれる。」これから
このネタを随分使った。「でも、こういうネタはすぐに効き目がなくなるんだよね」っとも言った。
確かに程なく不●家が更生したら受けなくなった。

しかし、このネタが結構長続きしている。世の中不祥事を起こす会社は次から次から出てくる。
不●家が治まったかと思えば、赤●に白い恋●。はたまた最近では船場●兆。この事件を
不●家からそれぞれに置き換えればいつまでも使えるのである。

最近は夢さんと楽屋で会うと、「最近どんな時事ネタ作った?」と話し合うのが常である。


No.08 平成20年4月12日  春日井 ソフィアン寄席 

「お客様に乗せられる」

今回で3回連続して出させていただくソフィアン。初回は昨年の8月だったか。初めて出させ
ていただくのでご挨拶を・・・と思ったら皆さん私のことをよくご存知で。今やインターネットの
時代。「HPなどで見てます。」とのこと。なんか感心してしまった。この時のネタは「夢八」。
夏と言うことで怪談特集だった。

2回目が今年の2月。午後から春日井の社協の依頼で一席務めた後ソフィアン入り。ネタは
「子ほめ」。けいこ不足で撃沈。深く反省した。折角出させていただきたのに申し訳ない。

そして、今回リベンジのつもりで出演エントリー。萬徳寺のこともあるので、気持ちを引き
締た。また、今回は河太朗さんのキャンセルに栄歌さんがピンチヒッターとのこと。栄歌さん
の落語は久しぶりなので、それも楽しみだった。

開口一番の無眠さんからガンガン受けている。まくらから面白い。袖で栄歌さんたちと
「まくらがいいねえ」とうなずき合った。聞けば最近まくらを勉強しているという。う〜ん。
社会人落語チャンピオンでも日々勉強しているのだと痛感した。ネタは「上燗屋」。無眠さん
の酔っ払いはなんでこんなに面白いんだろう。本人はお酒が一滴も飲めないのに。
2番手は笑天さんの「火焔太鼓」。久しぶりに聞いたが見事なまでの完成度。そこにひねり
が入っていて、噺に新鮮さを生む。古典だけど古さを感じない、見事なものだった。
仲入り後、私の出番。上がりに「志ょ朝さん」と声をかけてもらったのは嬉しかった。前半の
2人でお客様を最高潮にしていただいたお陰で、よく笑ってもらった。ネタは「旅行日記」。
自分自身でも好きなネタ。噺が進むにつれてお客様に乗せられて、あっという間に降りて
きた。楽屋で皆が「おもろかった」と言ってもらえた。う〜ん。この感覚を忘れないように。
そして最後は栄歌さん。ネタは「ちしゃ医者」。あまり聞く機会のないネタだが、演者に
よってこんな面白いネタだったのかと思い知らされた。まさしく栄歌ワールド。お客様を
グイグイ引き付けていく。笑いが波打っているとは正にこのこと。この人医者にしておくのは
もったいない(^^
ハネた後ハンバーグをいただきながら、その横でマスターが「今日の皆さんはすごかった
ねえ」としきりに言ってくださった。まさにそんな落語会だった。

最近つくづく思うのだが、楽語の会のメンバー(私をぬいて)は並みのものではないと思う。
アマチュアの域を超えている。全国には当然プロ級の人はいると思うが、それに引けと
劣らぬ実力を持っていると思う。まあ、当然無眠さんも栄歌さんも社会人落語のチャンピ
オンなのだが。

※内容によっては、自画自賛のような記載をする場合がありますが、できるかぎり客観的に
 記載しているつもりですので、ご容赦ください。


No.07 平成20年3月23日  岡崎 萬徳寺寄席 

「量と質」

名古屋の「社会人落語楽語の会」。そのいくつかある定席の一つ「萬徳寺寄席」
私が13年ほど前この会に入れてもらって初めて出させてもらった落語会。久しぶりの出演
だった。本と何年ぶりだろう。もう7,8年になるだろうか。

いつものように事前にネタ合わせがあって、トリで「宿屋の富」をやらせてもらった。
この日は出演者は5人。前半3人、後半2人で、私の前「食いつきひざ」でお客様がワッと
わいた。よしとばかりに高座に上がった。お客様は硬くもなく、過剰な反応もなく、何となく
そこそこで終わった。でも自分の中では噺のタイミングがずれているような感覚だった。

落語会も終わり、後片付けもすんで楽屋で何となく反省会のようなことになった。その時
出演者の中のA氏が、「志ょ朝さん、最近噺が雑になってきたね。」と忠告してくれた。
このようなことは、我々の仲間では珍しいことではない。どこの会場でも楽屋で結構
言い合っている。お互い悪気があって言うのではない。私もA氏の言いたいことの50%も
理解していないかもしれないが、助言として受け止めた。
すると、すかさずB氏が「志ょ朝さん、最近出演数が多いからね。」と言ってくれた。B氏も
私を弁護してくれたのか、雑になっている要因を指摘してくれたのか。

この2人の意見を真面目に受け止めたいと思う。楽語の会のメンバーの中では私なんか
駆け出しなので偉そうなことは言えないが、A氏は、私のできる範囲の中で雑になってるよ
と言ってくれたのだと思う。
確かにそうなのかもしれない。元来私は稽古が嫌いなほうである。噺の途中で噛むことは
しょっちゅうだ。自分なりに悪いところは改善していかなきゃならないが、なかなかできない。
これを機会にできるところから、やって行きたい。

もっと反省をしなければならないことがる。せっかく萬徳寺でトリを取らせてもらったのに
中途半端に済ませてしまったこと。自分が悪いのにお客様のせいにしたこと。忙しいのを
できの悪さにしたこと。まして、NO.3↓に書いたようなことが、実は自分の落語の質が
悪かったのに、分からなかったこと。

赤面の極みである。


No.06 平成20年3月16日  「おおぶ駅前寄席1周年」考 その2 

「おなじみさん」と「ごひいきさん」

おおぶ駅前寄席も1周年を迎えると、お客様から「無眠さん、次はいつ出るの?
かね平さんは今日出るの?」と問合せを頂くようになってきた。ありがたいことである。
お客様からこのようなお声を聞くと、最近思うことがある。「おなじみさん」と「ごひいきさん」
言葉の使い方が違うと言われるかもしれないが、この際自分なりの解釈で話を進めたい。
「おなじみさん」はいつも来ていただくお客様。
「ごひいきさん」はお客様から見て贔屓したい演者としよう。
我々にとって「おなじみさん」はどこの会場でもいてほしいし、いかに「おなじみさん」を
増やすかが、我々の究極の目標である。

以前、半田で定席の落語会を始めようと思っていたとき、自分の考え方として、
その時その時が面白ければいい、それを聞いてまた来てくださると思っていた。
だから、楽語の会のメンバーで面白いネタを並べて、トリも取ってもらったりしていた。
そんな時砂九さんに言われた。(砂九さんの話を多く持ち出して申し訳ない)
「半田は志ょ朝さんのホームグランドだから、志ょ朝さんがトリを取らなきゃダメだよ」
言われたときは、その意味が分からなかった。落語会としては面白いんだからいいじゃん。
言われたことを軽く受け流していた。

そして、半田で何回か回を重ねていったとき、お客様から言われた。
「今日は志ょ朝さん出ないの?トリを取ってくれないの?楽しみにして来たのに」
そのとき、ハッっと思った。お客様は、落語の噺のみを聞きに来ているんじゃないんだ。
落語を演じてる演者を楽しみに来て下さっているんだ。そのひいきの演者の落語を
聞きに来て下さっているんだ。砂九さんが言いたかったのは、「おなじみさん」が
楽しみにするような「ごひいきさん」を作らなきゃだめだよ。と言うことだったんだ。
お客様は誰を楽しみにして来てくださっているか、をしっかりリサーチしておかないと
毎回落語会の雰囲気が変わってしまい、ピントがぼけてしまうのではないか。
でないと「おなじみさん」も増えないのかもしれない。

考えてみると、自分も好きな落語家さんが名古屋に来ると、何が何でも聞きに行くけど
好きな落語家じゃなかったら行かないもんなあ。


No.05 平成20年3月23日  大府笑学生落語クラブ考 その1

「潜在する確かなもの」

志ょ朝のブログにも書いたが、大府の笑学生落語クラブの発表会があった。今回で
3回目となる。

このクラブは大府市が開催した落語教室を卒業した子供たちと保護者が、その後続け
たいという希望で発足したグループである。ただし、落語教室は立川志の吉さんが
指導していたが、市の教室が終わると指導者がいない。そこで回りまわって私の所に
連絡が来た。せっかく落語に関わってもらったのだから、少しでも継続してほしい、
子供たちも大きくなったとき、「ああ、落語をしていたときがあったなあ」と思い出して
再び落語を親しんでもらえばいい。そんな思いで、引き受けた。

ところがである。このグループの人たちの考え方に驚いた。落語をするのは子供たち
だが、この会の運営から日々の稽古日の流れまですべて保護者が行うのである。
あながち多いのは、公民館まで車で送って子供が車から降りるとスーと帰り、時間に
なったら迎えに来る。挙句の果て半年もすると通わした成果が出ないと文句を言う。
そんな親が多い中、親が参加しないと、この会に入れないのである。私は本当に
落語の稽古をつけるだけである。と言って一から十まで親が子供の手取り足取りする
のではなく、落語をするときは子供の自主性を保っている。子供たちから一歩下がっ
たところで子供を眺め、子供の成長を親どうして分かち合っている。親子参加型
自主的サークルである。とても驚きと敬意の念を持った。

ということで、今回の落語会もそれぞれの子供は落語を発表するだけではなく、自分
の役割仕事がある。受付をするもの、場アナをするもの、会場案内をするもの、めくり
をめくるもの。そして、その役割にそれぞれ親もついてサポートする。必然的に落語会
を自分たちでやっているんだと言う達成感が生まれる。実にうまい設定だ。
発表会がはねた後、打ち上げならぬ反省会があったが私は都合で参加できなかった。
話に聞くと大いに盛り上がり、子供たちも喜んでいたと言う。参加できなくて申し訳け
なかったと後悔した。

これからも、長くこの会にお世話になりたいと思っている。子供たちの成長も楽しみだ。
少しでもこの会のお役に立てばと思う。

・・・・だが、一つだけ不思議なことがある。・・・・なぜ、落語なんだろう。


No.04 平成20年3月16日  「おおぶ駅前寄席1周年」考 その1

何だかんだと言いながら、おおぶ駅前寄席が1周年を迎えた。
2年前、砂九さんからメールが届いた。大府で落語会をやりたい人がいる。紹介する。
連絡をもらって面会したのが今の大府ポーターズ(知多王)の席亭である。
豊川で砂九さんの落語を聞きカルチャーショックを受けたらしい。
落語はこんなに面白いものか。大府ポーターズも当時大府で事務所を開いたばかりで
何かを地元でやって行きたい。それには願ってもないものだったらしい。

話を聞いて、まあとにかくやってみましょう、と始めたのが大府のキッチンバーの落語会
と師崎の朝市落語。今は朝市寄席も目的を達成し2年で終了。キッチンバーも向こうの
都合で終了した。そして、砂九さんも他界した。
じゃあ、その後どうしよう。色々考えたあげく、大府ポーターズの事務所で始めたらどう?
地元に根付かせるのであれば、大府のど真ん中で地元の人に通ってもらう。
砂九さんもよく言ってた。「とにかくやってみたら。」
不安だらけでスタートする。当初は隔月か、年に数回のつもりでいたが、席亭の熱意に
押され、毎月開催に。そのころから、他にも依頼が殺到しやっていけるかどうか・・・・・。
しかし、河太朗さんが腹をくくって毎月出演すると断言。また、楽語の会のメンバーが
みんな出演希望を寄せてくれたお陰で、何とか1周年を迎えた。
時には、開催時間になってもお客様ゼロのときもあったが、お客様のご支援で少しずつ
お客様が増えて、常連の方もお見えになってきた。ありがたい次第である。

今回、スタッフが少ないことと、記念の手ぬぐいをお客様にお渡しするため、私が受付を
した。そのため、始めて客先から落語の高座を見た。開口一番の宇ん鵲さんの落語を
聞いた。そのときに「ああ、結構いい寄席の雰囲気ができて来たじゃん。」嬉しかった。
その後楽屋に戻り、スタッフと喜びを分かち合った。

No.03 平成20年3月某日  地元の老人会

この3月は、方々の老人会などが総会を行う。毎年のように総会の後の余興として落語の
依頼が多い。今年もこの3月だけで5会場の依頼がある。

地元の老人会は恒例で、もう何年にもなる。ネタは何にしよう。持ち時間は30分。
病み上がりのこともあるし、当たりも付いていることだし「宿屋の富」にしよう。
はなし始めて、まくらでは受けていた、が、ネタに入ったら急にお客さんが引いていく。
ん?どうしたんだ?だんだん下を向く人が出てきた。悶々とした中で高座を降りた。

終わってから、自己反省をしてみた。
 ・始まるまで、お客さんが出たり入ったりしていたので、落ち着くまで高座に上がったまま
  始めなかった。
 ・お客さんは、長い噺を期待していなかったのではないか。
  子ほめ、松竹梅など笑いの多い、短い噺を期待していたのか。
 ・体調不十分だったので、噺に集中できなかったのか。


長い間、行かせて頂いているところで、分かっているつもりでもお客さんの気持ちを
読み取れない。落語は難しい・・・・。

No.02 平成20年3月1、2日 アマチュアだけどプロ意識

「後悔先に立たず」

2月の後半から風邪をひいた。熱は出ないのだけど鼻と喉をやられた。
その矢先、3月には依頼が入っていた。一つは東海市の老人会。もう一つは武豊のお寺。
どちらも新聞(6月に載せてもらった中日新聞サンデー版)を見て連絡があった。
依頼主はかなりの期待をしてくださって、早いうちから連絡があり準備万端の様子。

ところが、風邪のせいで声が出ない。咳が止まらない。薬局で咳止めの薬とのど飴を
買って何とか頑張ってみたが、ほんの10分でガラガラ声になってきた。公演は1時間の
約束。とてもじゃないけど最後まで声が出ないかもしれない。言葉を丁寧にしてお客様に
伝わるよう努めた。いいお客様のお陰でよく笑ってくださり無事終了した。

依頼主とお客様に頭の下がる思いで会場を去った。申し訳ない。
帰りには「また来てくださいね」という暖かい言葉。きっとガッカリされたんじゃないだろうか。
あんなに楽しみにしてくださっていたのに。まして、多少なりとも謝礼が出る限りには
それなりの責任を果たさなければと痛感した。アマチュアだけど最低のプロ意識は必要だろう。

No.01 平成20年3月 志ょ朝の独り言

最近砂九さんのHPを見ていて、落語足取というページがあった。それを読んでいると
砂九さんが当時何を考えていたのかが、少しなりに分かるような気がした。
自分も落語についてふっと思うことがある。そして何日か経つと忘れてしまう。
砂九さんのページを見て、その思いを綴ってみたくなった。
そんなことで、始めてみました。お付き合いください。どこまで続けられるか分かりませんが・・・